

先代の地車は、文久元年(1861)大工の飯田吉左衛門氏が
製作したと伝えられています
現地車より一回り大きく、彫り物も立派なものでした。
昭和9年大修理を経て、大切にその保持に努めてまいりましたが、
寄る年波には勝てず、昭和三十年代後半に入り、だんだんと傷みが激しくなり、
大修理の必要に迫られていた頃、旧岡村(現勝山北三丁目)より、
地車購入の話があり、昭和四十年秋、現地車を購入しました。
それに伴って先代の地車の保管場所が無く、昭和四十一年に止む無く解体しました。
現在彫り物は、地車庫のガラスケース内に保存しています。
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現在の地車は、昭和九年、生野の地車大工「大熊」二代目永田三次郎の製作
といわれており、 昭和四十年秋、旧岡村にあったのを購入しました。
鶴の橋跡までみんなで迎えに行き、引き取って早速秋祭りに曳行したそうです。
購入後、少しずつ手を加えてきましたが、建造より半世紀余りになり、
相当傷んでいた為、昭和六十三年に地車の大修理を行い現在に至ります。